
中学生の頃は「英語なんか勉強したって、普通に生活する上では役に立たないジャン。日本で生活してるんだし」とよく思ったものです。それで今になってとっても苦労しているのですが。子供は視野が狭く、自分のまわりしか見ていないので、そう思ってしまうのは無理ないことなのです。マンガやテレビドラマでも、「方程式なんて解けなくてもいいじゃん」みたいな表現はよく目にしました。今でもあるかも。
で、そういうことを反省したのか、ワタシが中学校を卒業するぐらいの時期から「ゆとり教育」ということを言われるようになりました。結果、今の義務教育のカリキュラムは、ワタシが子供の頃に比べれば、随分減ることになりました。
でも、今となっては、これは大きな間違いであると思うわけです。
結果、今、何が起きているのか。
今、私たちが学ばなければいけないことはどんどん増えています。義務教育のカリキュラムが減らされたとしても、それが減るわけではありません。ワタシは技術屋ですから、技術のことで考えてしまいますが、技術は高度化しており、昔より多くの知識を必要とするようになっているのです。知らないで済む知識はそんなに多くはありません。
例えば、別の記事に書いた、記号論理の話だってそうです。確かに、こんなことを知らなくても日常生活には困りません。でも、記号論理の概念ぐらいは知っていないと、例えば、「ドモルガンの定理」ぐらいは知っていないと、コンピュータの回路設計はできないし、コンピュータプログラムを書くことはできません。
「コンピュータ技術者になるわけじゃないから、記号論理なんていらない」、「日本に暮らすから、英語なんていらない」と言って、知識の幅を狭めていくと、自分のできる仕事もどんどん狭まります。そうして、お金を稼げる仕事からは遠ざかることになります。
義務教育のカリキュラム削減は、お金持ちには関係ありません。公立の学校が気に入らなければ、もっと質の高い教育を受けられる私立の学校に行けばいいのです。それに加えて、昨今の「小泉改革」が拍車をかけるのです。今、国立の学校が「独立行政法人化」され、国立大学でも採算とは無縁ではなくなりました。「東大に行くためには、親に1,000万円以上の年収が必要」という話まであります。
公立の学校の教育の質を下げるということは、結局、教育の機会の均等を奪うことです。お金がない人には質の高い教育が受けられないということです。質の高い教育を受けていてない人は、高給を得られる仕事に付くことが難しくなります。そうなると、自分の子供に質の高い教育を受けさせることができなくなります。こうして悪循環が起こり、おそらく、社会における地位の固定化が起こります。
日本という国は、かつて「世界で唯一成功した社会主義国」と言われたこともありました。ものすごいお金持ちが少ない代りに、その日の暮らしにも困るような貧しい人も多くありませんでした。それぐらい平等な国であったということです。これは、教育の質とも無関係ではありません。この状況がこのまま進むと、森永卓郎氏が指摘しているように、一握りの金持ちが、多数のビンボー人を支配するというような、まるで中世のような世界がこの日本にも出現することになります。でも、これは、「そんな難しい知識は生きていく上で必要ではない」とかつて言い続けていた、私たち自身が招いたことなのです。